はてな夢日記 アドリブで舞台

何かのイベントに参加することになった。私は相棒と一緒にお笑いを披露することになっていたが、会場入りしたのが開始ぎりぎりになってしまい、打ち合わせを何も出来ていない。今からネタあわせをする時間は無いのでその場のノリでトークすることにしたが、なぜか失敗する気が全くしなかった。

ここ数日、記憶に残る程度の濃い夢を続けてみている。昨日は大きな飛行機の中でホステスたちと飲む夢、その前は火と追っ手に追われて海列車で海に逃げる夢。ストーリーに出来るほどではないのでブログには残していないが、ハッキリ覚えている。
どの夢も嫌な感じはない。でも濃い夢を見た後はどうにも深く眠った感じがしない。疲れが残ってしまう。それに今までも体調が悪くなる前に決まって濃い夢を見ていた。逆にここ数ヶ月はそれほど濃い夢を見なかったので、夢日記がストップしてしまった代わりに体調自体は悪くなかった。確かユングが言っていた、夢は無意識からのメッセージという話も私はある程度信じていたりする。
少し自重しようか。。。

誰がテレビをつまらなくしたのか

誰がテレビをつまらなくしたのか

誰がテレビをつまらなくしたのか

最近のテレビが面白くないと思っている人はきっと私だけではないはず。とにかく軽薄で内容が薄い。CMは多いし、そのCMの前後に同じ内容を放送したり、「CMの後、衝撃の結末が!」などと煽ったり、内容で勝負するというよりただインパクトのある映像を垂れ流しているだけのように感じる。テレビ欄には「仰天」「感動の」「爆笑」とついたタイトルの番組が並び、テレビ局の「ほら、これが感動だぞ」といったような押しつけがましく傲慢な姿勢が見て取れる。この本ではそのような問題点も含め、なぜ面白くないのか?からなぜそうなったのか?誰がそのようにした原因なのか?というところに噛み付いている。
この本のタイトルにもなっている「誰がテレビをつまらなくしたのか」の答えとして、テレビ局は当然としても視聴者自身もその一因であると説いている。テレビ局は「視聴者の声を真摯に受け止め」などと吐いていても所詮視聴率というデータでしか見ていない。視聴率が稼げればその番組は良い番組とされ、視聴率の改ざんさえまかり通る現状。逆に視聴率はそれなりでも一定の評価を得ていたような小型番組は容赦なく打ち切られる。どんなひどい番組であっても自社内での自浄能力もなく、他のテレビ局もそれを追求しようとしないため業界全体でも自浄能力はない。これに期待するのは無理そうだ。
では視聴者がテレビをつまらなくした原因というのは何か?これは視聴者の諦めによるものだとしている。つまらない番組でもテレビを見ないと落ち着かない、ということで視聴率をテレビ局に献上している。その結果テレビ局の傲慢やなれ合い体質を生むのだとしている。つまり、視聴者がアクションを起こさないとテレビは良くならないということ。テレビ局への抗議は黙殺されるのがオチなので、一番良いのは「見ない」ということ。視聴率第一主義のテレビ局はそれで音を上げる。NHKへの不払い問題が問題化しているが、それも一つの直接的抗議になり、視聴者を無視できなくなる。民放へも間接的不払いという行動が取れる。スポンサー企業への不買運動によって、悪い番組に荷担するのは得策ではないと企業に示すことができる。商品には広告料も含まれているので、実質タダ見ではないのだから。民放もタダ見の視聴者は無視できても資金源となるスポンサーは無視できない。とにかく視聴者が行動を起こすことがテレビを良くするための一歩になるのだとしている。
私もどうせ良くはならないと諦めていた感じがあるので、なにか行動を起こすべきかなと思ったのでした。★4つ。