誰がテレビをつまらなくしたのか

誰がテレビをつまらなくしたのか

誰がテレビをつまらなくしたのか

最近のテレビが面白くないと思っている人はきっと私だけではないはず。とにかく軽薄で内容が薄い。CMは多いし、そのCMの前後に同じ内容を放送したり、「CMの後、衝撃の結末が!」などと煽ったり、内容で勝負するというよりただインパクトのある映像を垂れ流しているだけのように感じる。テレビ欄には「仰天」「感動の」「爆笑」とついたタイトルの番組が並び、テレビ局の「ほら、これが感動だぞ」といったような押しつけがましく傲慢な姿勢が見て取れる。この本ではそのような問題点も含め、なぜ面白くないのか?からなぜそうなったのか?誰がそのようにした原因なのか?というところに噛み付いている。
この本のタイトルにもなっている「誰がテレビをつまらなくしたのか」の答えとして、テレビ局は当然としても視聴者自身もその一因であると説いている。テレビ局は「視聴者の声を真摯に受け止め」などと吐いていても所詮視聴率というデータでしか見ていない。視聴率が稼げればその番組は良い番組とされ、視聴率の改ざんさえまかり通る現状。逆に視聴率はそれなりでも一定の評価を得ていたような小型番組は容赦なく打ち切られる。どんなひどい番組であっても自社内での自浄能力もなく、他のテレビ局もそれを追求しようとしないため業界全体でも自浄能力はない。これに期待するのは無理そうだ。
では視聴者がテレビをつまらなくした原因というのは何か?これは視聴者の諦めによるものだとしている。つまらない番組でもテレビを見ないと落ち着かない、ということで視聴率をテレビ局に献上している。その結果テレビ局の傲慢やなれ合い体質を生むのだとしている。つまり、視聴者がアクションを起こさないとテレビは良くならないということ。テレビ局への抗議は黙殺されるのがオチなので、一番良いのは「見ない」ということ。視聴率第一主義のテレビ局はそれで音を上げる。NHKへの不払い問題が問題化しているが、それも一つの直接的抗議になり、視聴者を無視できなくなる。民放へも間接的不払いという行動が取れる。スポンサー企業への不買運動によって、悪い番組に荷担するのは得策ではないと企業に示すことができる。商品には広告料も含まれているので、実質タダ見ではないのだから。民放もタダ見の視聴者は無視できても資金源となるスポンサーは無視できない。とにかく視聴者が行動を起こすことがテレビを良くするための一歩になるのだとしている。
私もどうせ良くはならないと諦めていた感じがあるので、なにか行動を起こすべきかなと思ったのでした。★4つ。